さらば、資本主義(佐伯啓思)

大学の恩師である佐伯先生の著作はこれで6冊目になるだろうか。

 

どの著作も共通してテーマは「近代西洋社会への懐疑と警鐘」である。

 

今回の著作も、主論としては、

科学と技術の革新によって富を生み出し、無限に幸福を追求するという近代社会の価値を見直すべきだ。

そして、この経済成長と物質的豊かさを追求し、「資本」を金融市場にバラまいて成長を目指す「資本主義」はもう限界なのではないか。

したがって、脱成長主義社会を受け入れ、政治的な安定を求める時代が将来的にやってくるだろう、というものだ。

 

こうした主張は現在ITベンチャーを中心に就職活動を行う私には大きく突き刺さるものがある。

果たして、人間の便利さを追求するために技術革新を推し進め、市場競争に勝つために時間と労力を捧ぐのは果たして正しいのだろうか?

自分の人生を掛けてやるに値する仕事なのだろうか?

それが自分や周りの人にとって幸せをもたらすのか?

 

 

そういった疑問や不安を抱かざるを得ない。

 

より安く、より早く、より便利に、という欲望に突き動かされて、ますます経済の拡張に走り、我々はかつてなく忙しく働き、激しい競争に駆り立てられている。

このことは人間の心理や社会の在り方に、ある種の歪を生み出すだろう。

人の幸福が仮に物質的な側面と精神的な側面に区別できるとするならば、物質的な側面への過度の傾斜が、精神的な側面の破損をもたらすのではないか、ということである。

しかし、我々はこの状況を直視できていない。

なぜなら、物的な側面はGDPや成長率により数値化できる。一方、精神的な側面は、全く測定もできず、数値化できないからだ。

 最近では電通の過労死などが社会問題として取沙汰されている。

どうしてこの豊かな日本社会で、こうも人間はあくせく働かねばならないのか?

これ以上物的な豊かさを追求する必要があるのだろうか。

 

 

戦後日本が急激に経済成長を遂げることができたのは、あくまで焼け野原の状態からのスタートであったからで、豊かな今とは完全に異なる状況にあった。

今の社会で、当時のような経済成長を求めること自体おかしいし、このまま成長主義を志向したところで日本人が幸せな生活を送れるとは私は思わない。

 

ただ、そうした「成長主義」「資本主義」「民主主義」に代わるなにか、を提示することはできないし、今後日本がどこへ向かうのか私には想像もできない。

 

しかし、確実に言えるのは、近い将来、これらのイデオロギーを体現し志向する資本主義社会に何かしらの綻びが生じ、立ち返るタイミングが来るだろう。

 

歴史を顧み、将来の社会像やよき生を構想する不断の努力が求められると強く感じた。

 

ガイアックスの社長の講演内容も振り返って、この課題、問いに対してじっくりと向き合いたい。